眠い人のブログ

思ったこと・感じたこと、体験したことをつらつらと。

正義の「使い方」。

このスパンで投稿して、次は何年後になるんだ?と心配されそうな眠い人です。

 

今日は争点になりやすい議題を、肌で感じたことを元に、扱っていきたいと思います。

 

正義の「使い方」

についてです。

 

つい先日、自分の過失によってお叱りを受けてしまいました。

そしてその原因が、私有地への不法侵入及び駐車、というものです。

この字面を見て、おいおいそれはお前が百パー悪い案件で相手さんの正義がどうせ正しいのだろう、とお考えの皆さん。是非この後も読んでください。

多分皆さんの意見は変わりません。

例えば、正義の定義を、「法律を犯さないこと・遵守すること」に皆さんが置いてると仮定するともちろん、今回の場合それを指摘された自分が悪であると言えるでしょう。今回その認識はそのままでいいのですし、自分が悪であることに反論の余地はありません。

 

ですが今回の議題は正義の「使い方」であります。「定義」ではありません。

 

自分が停めていたのは、デリバリー用のバイクで、今回伺ったところが大通りに面していることもあり、その近くの細い道に面した駐車場でした。その駐車場自体には何台か車が停まっているのですが、自分の停めた所には車を停めるための白線が引いてあるものの大きめの木が何本も横たわっていたので、もう使われていないと判断し、勝手に停めてしまったのが事の始まりでした。

自分としては、道自体は細く他の交通の妨げになったらいけないということもあり、よく考えた上で判断したつもりでした。

 

長くなるので、細かな事の顛末は省きますが、

 

その方は、

最初からレコーダーをonの状態で手に持ち、度々警察を呼ぶことを示唆し、私の意見を顧みずに謝罪を求めてきたのです。

(もちろん自分の主観によるものですので、第三者から見ればまた違った意見が出てくるかもしれません。)

 

その後これは、

正義の使い方を間違えた例だな

と考えました。

 

もし自分が停めている場所が不適切であり、それを自分に指摘するだけなのであれば、レコーダーを用いることや謝罪を強要することは不必要ではないか、と自分は思いました。

そして、その方は「法」という正義のもと、相手を断罪し相手に謝らせたかったのだな、という結論に至りました。

 

そもそも、 goo国語辞書によれば、「義」とは

儒教における五常の一。人として守るべき正しい道。道義。

であるといいます。

法を守らなかった自分はもちろん正義ではありません。

ただその方の「法は守るべき」という正義は、定義としては正しくも、それを行使する上で、本当に“人として守るべき正しい道”を歩んでのことだったのでしょうか。自分は、いささか疑問が残ります。 

皆さんがどう思ったか、是非お聞かせください。

それでは、また。

 

p.s.事の顛末を知りたい方がいればコメントをお寄せください。自分の主観でよろしければお伝えできる限りお伝えします。

 

p.p.s. どう思ったかについては、「結局悪いのお前。」「謝れば済む話。事を大きくするな。」などのご意見あると思いますし、もちろんそれも貴重な意見ではありますが、そのような結論にたどり着いた場合は、もう一度冒頭から読むなり自分とは違う世界線で生きていると思っていただければ解決できるかなと思います。お手数おかけ致します。