信号待ちに人生を見た話。
大変久方ぶりです、眠い人です。
もし待ってた人がいてくれたなら幸いです。
本日は、タイトルにもある通り、
信号待ちに人生を見た
そんな出来事のお話です。
自分はデリバリーの仕事をしているのですが、バイクを使うので、よく信号待ちをします。
いつものように信号を待っていたら両サイドをトラックに囲まれて、自分の乗っている道路の信号しか見えない状況になってしまいました。つまり、横断しようとする車や歩行者のための信号が見えなくなってしまったのです。
ただ道路を走るのであればこの状況はごく普通にあることで、なんの問題もありません。ですが、この時自分は携帯で調べものをしたかったのです。
もちろん信号待ちなら携帯をいじっていいという決まりはありませんが、いけないこととはわかりつつどうしても気になってしまったのです。
信号の変わるタイミングを、横断する信号で図りたいと思いつつも、その術がありません。それでも調べたい。でもいつ変わるか分からない。という無駄な葛藤をしているうちに信号は変わってしまい、調べものが出来ぬまま進むしかなくなってしまいました。
これ、みなさんもありませんか??
大した出来事ではないんです。
ただその後道路を走りながら、ふと人生みたいだな、と感じました。
私達の時間はいつも前進し続けていて、様々な出来事が連鎖的に起こります。小学校に入学し、中学、高校、大学、社会人と流れに沿っていても目の回るような状況の変化です。
しかしその中でも、慣れというものが出てきます。
人は状況に慣れると、周りが見えるようになります。(目が暗闇に慣れるのと同じような状況ですね。)
周りが見えると次第にその景色に飽き、自分が停滞しているように感じることも多いと思います。
その時、新たな挑戦をしようと考えるのではないでしょうか。例えば高校に入学し、部活に入ったばかりの頃は練習がキツくて他の事に注力できなくても、2年生になって、バイトを始めたいと言う人や趣味を増やしたいという人が増えるのではないでしょうか。
そこで行動する人と行動しない人その2パターンに分かれ、いつでも得するのは行動した人のように感じます。
いつも行動しない人は、言うだけ言って3年生になり、今度は受験や就職という新たな道を提示され、他のことを始める前にまた、進むしかなくなります。
信号が赤になり、停滞し、携帯を使おうと迷ったものの、青になってしまい進まなければなくなった自分がそれにどうしても重なって見えてしまいました。
物事は、始めると案外慣性がはたらいて、その後スムーズに行くことが多いような気がします。自分の調べものだって、ポケットから携帯を出してしまえばすぐに終わったものです。なのに、いつ来るかわからない青信号に怯え結局何もできずじまいでした。
これから○○があるから、と何かを始めるか迷ってる人。あなたは今赤信号で止まっているんです。今しかないんです。いつか絶対にくる青信号を待っていても、進むしかなくなりハンドルから手が離せなくなっていまいます。そうなる前に、是非始めてみてください。右折や左折はまだ間に合いますよ。
そんなメッセージを伝えたい眠い人でした。
長々と失礼しました。
それでは、また。