眠い人のブログ

思ったこと・感じたこと、体験したことをつらつらと。

「人間っていいな」についての考察。

童謡「人間っていいな」について考察した話。

今日は変な話を真剣にしたいと思います、眠い人です。

初めに言っておきたいのですが、これはあくまで、私個人のくだらない考察でしかない上に、もしどこかで同じような考察が載っていたとしてもそれは同じ結論にたどり着いた別人の解釈です。正解がもしあるとしても、また一つ面白い解釈だな、程度に読んでいただけると幸いです。

さて、本題は「くまの子見ていたかくれんぼ、お尻を出した子一等賞。」という曲の一番にあたる歌詞についての考察です。

皆さんも、小さい頃に歌って、疑問を感じたことがあるのではないでしょうか。
一体なぜ、くまはかくれんぼをみているのか。一体誰が、お尻を出しているのか。そして、一体全体どうして、その子が一等賞を取っているのか。

まず、この歌の一番は、なんども繰り返される「いいな」という歌詞をくまの視点から歌わせることで、小さい子供に「人間として生まれたこと、生きていけることは幸福なんだよ」ということを教えこんでいます。家に帰れば温かいご飯が自分のことを待ってくれている、という子供の時には疑いようもない事実は、人間としてかつ恵まれた家庭で生まれた子の特権であり、くまからしたら普通のことではないと言うことなのです。

野生のくまは、いつ人間に殺されるか日々怯えているのでしょう。人間以外にも、様々な天敵や疫病にいつ襲われるか分かりません。そんな熊が、人間の日常をふと垣間見たのです。人の子がくまの縄張りに入ったのか、くまがご飯を求めて人里におりてきたのかはわかりません。しかし、くまがそこで見た光景は、自分の暮らしとは想像もつかないくらい「平和」に包まれたものでした。かくれんぼで遊ぶ人の子を、かくれんぼで遊ぶことさえないくまが見ている、というのがこの歌のキモなのです。

つまり、くまは人の子が何をしているのかは検討もつきません。和気あいあいと集まり、一人が目をつぶったと思ったら、他の子どもたちは方方に散り、あっという間にいなくなってしまいました。その子が目を開け大声を出したと思ったら、あちこちからそれに呼応するような声が聞こえてきます。聞こえてきた声を確認し、人の子が歩き出します。そして、次の瞬間、なんとお尻が出ているではないですか!!まさに頭隠して知り隠さずの子がいるのです。名前を呼ばれたその子供はひょっこりと頭を出し、あちゃ〜と嬉しそうに笑っています。つまり、「一番」に見つかってしまったことに対して笑っているのです。

くまはその光景を見て、「なるほど、早くに見つかれば良い遊びなんだ。」と理解したのではないでしょうか。言うなれば「かくれないんぼ」というゲームだと認識したのでしょう。前述した通り、くまはいつも外敵に恐れ、野生の中でいつも身を隠しています。人間社会が発達してしまった今、本気で羽を伸ばしているくまがどれほどいるのでしょうか。そう、くまはその生涯をかけて「見つかってはいけないかくれんぼ」をしているのです。そのかくれんぼの最中、偶然見かけた人の子らによる「かくれないんぼ」。どれほど、輝いて見えたことでしょうか。誰かに見つかり、それが喜ばしいことのように笑い合える。見つかっても次があるだけでなく、早く見つかれば早く見つかるほどに盛り上がるその状況を見て、どれほど羨ましく感じたことでしょうか。

「人間っていいな」は子供たちに対し、動物の目と口を通して人間でいることの素晴らしさを説く曲です。しかし、それ以上に動物たちの悲哀を説いている歌ではないのでしょうか。人間がいかに幸せに生きているのか、その対照となる動物としての生活。そこにスポットライトを当てることで、この歌の真に伝えたいことが理解できたのではないでしょうか。

くまからしたら、そりゃでんぐりがえしもしたくなりますよね。

では、また。